「天国の歯磨き粉のように甘く涼しいノイズが車内に満ち溢れた...」
これは私が昔、読み耽った一冊の小説の中の、今も胸の奥底に残る一節です。
このちょっぴり倒錯した、だけど最高に美しいフレーズが、なぜ私の心を離さないのだろうか?
理由は、
歯磨き粉(嗅覚)、甘く(味覚)、涼しい(触覚)、ノイズ(聴覚)、満ち溢れる(視覚)。一文に五感が全てが含まれているからです。
おまけに、頭についた「天国の」って言葉が、その甘ったるい暴力性をさらに際立たせている。
人生を十回やり直したところで、こんなイカした美文を紡ぎ出すことは絶対に叶わない。それは、もう絶望なんて言葉を通り越した、ただただ圧倒的な美文の前でひざまずくしかないのです。
一般的に、記憶を呼び戻す五感の順序は、聴覚<視覚<触覚<味覚<嗅覚といわれています。
特定の香りが過去の情景を鮮明に呼び覚ます、この現象は「プルースト効果」とも呼ばれています。
だが、私の中ではちょっとばかし倒錯してしまっているようで、
視覚=触覚=味覚<嗅覚<<<<<<聴覚。
私の場合、圧倒的な質量で記憶の扉をぶち破るのは、聴覚なんです。
例えば、昔の流行歌を耳にした時、当時の風景や感情が、まるで古いフィルムを逆回転させるみたいに蘇る体験。君にはないだろうか?
真夏の、部活帰りの気だるい熱気の中、仲間とコンビニのアイスを貪りながら歩いた、夏の日。秋から冬へと変わる季節の端境期に、この胸を締め付けた、得体の知れないセンチメンタル。雨音に閉ざされた部屋で、ラジオから流れる、どこの誰かも知らない音楽に耳を傾けた、退屈で甘い午後。
あの時々の、確かにあるはずの記憶のカケラたちが、当時の歌を聴くことで、今、私の中で、もう一度音を立てて再生されるのです。
私の青春を、ことさら充実してたなんて自慢する気はない。けれど、音楽を通してこれらの懐かしい日々が、まるで大事なオブジェみたいに反芻される時、それはそれ自体が最高に意味のある瞬間だったんだと、今になって、その深遠な意味を噛みしめているわけです。
さて、ご存知の通り、ハンズ梅田店は、十四年の歴史に、幕を下ろします。
数年後、五感のどれかが、この梅田店で過ごした日々を、突然蘇らせてくれるかもしれません。
残暑が厳しかったハンズメッセの喧騒か、終電ギリギリまで敢行されたレイアウト変更の狂気か、それとも、木枯らし吹く中、電車を乗り継ぎ、奈良の生駒山までクリスマスツリーを届けに走った、あの寒々しい一日か...。もしかしたら、私自身さえ忘れてた、とびきりの記憶の扉を、突然こじ開けてくれるのかもしれないのです。
この駄文を読んでる、君はどうだろう?
母の日のプレゼントを選んだ、あの気恥ずかしい日。学生時代、サークルの仲間とバカ騒ぎしながらパーティ用品を探した、あの無邪気な時間。初めてのデートで、慣れない手つきでハンズの商品を眺めた、あの甘酸っぱい日。映画の開演時間までの隙間を埋めるようにふらつき、思わず一目惚れした文房具との運命的な出会い。やたらと商品知識に長けた店員と、くだらない、だけど密度の濃い会話を交わした、あの奇妙な時間。
もし、君の心にしまってある記憶の襞に、ほんの少しでも、このハンズ梅田店が関わっていたとしたら。それこそが、この十四年間が、君にも、そしてハンズ梅田店にも、決して無意味じゃなかったってことの、何よりの証拠になるんじゃないだろうか。
約二年にわたり、このブログっていう場所で発信を続けてきましたが、梅田店としての公式な発信は、これをもって、とりあえずの幕を下ろすことになります。
だが、再会ってのは、案外、突然やってくるかもしれません。
そんな五感を超えた私の第六感は、果たして、その予言を的中させるのでしょうか?
最後に、懐かしい画像を添付します。
これは10年以上前のハンズメッセで従業員に支給されたTシャツです。

(今も寝巻きとして現役)
《おわり》